松田養鶏醸

幻想人形演舞とかアイマスとか

『もりのくにからに救われた』というお話

もりのくにからについての考察記事というより8割がた感想記事です。ご了承下さい。

また、『もりのくにから』のネタバレを多分に含んでおりますのでご注意下さい。

 

どうも、まつだと申します。覚えて下さらなくて結構です。今はアイドルマスターシンデレラガールズのオタク並びにアイドルのプロデューサーをやっています。

 

担当アイドルは森久保乃々。

 

以上です。

 

先日発売されました『THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 053 森久保乃々

要は森久保乃々のソロ曲『もりのくにから』を拝聴致しまして、あまりにも感情が爆発しすぎて生まれた怪文書が以下になります。

まとまりのない文章となってしまうとは存じますが、目を通して頂けたら幸いです。

 

ただ、一つご留意いただきたいのがこちら。

私は、特にアイドルマスターというコンテンツについては二つの楽しみ方がある思っています。一つは

作品として愛でる「メタ的な楽しみ方」

例えば同じオタク仲間と語り合ったり、色々と設定を考察したり。「なにがしのプロデューサーとアイドルを第三者視点で見る」というもの。まあ一般的なファンというやつですね。アニマスの楽しみ方は基本的にこれ。武内Pに自己投影しないでしょ。

 

もう一つがプロデューサーを「ロールプレイ」する楽しみ方。

これは脳内での作品の認識の仕方というだけですが、所謂「夢女子」と呼ばれる方々が得意としている楽しみ方ですね。自分を完全に作品に投影させるというやつ。

モバマスの担当の思い出エピソードとかはこういう楽しみ方をしてる人が多いんじゃないでしょうか。

 

私はモバマスというコンテンツについて後者を非常にこじらせている人間なのですが、これの特徴として、『リアルとバーチャルの分別がついておらず、端から見て気持ちが悪い』という物があります。

まあだから、ご容赦下さいってワケ。

 

 

ここから少し前置き。でもこれが大事なんです。

 

「アイドルを辞めたい」

開口一番、乃々がプロデューサーに言う台詞です。

私より可愛い子なんていっぱいいるから。

私にアイドルなんてできるはずないから。

 

私がこの子に惹かれた最初のきっかけは「守ってあげたい」という庇護欲でした。

自己肯定を知らない、或いは出来ない女の子に前を向いてほしいと思いました。

日陰の女の子を空の下に連れ出してあげたいと思いました。

 

可愛くて魅力に溢れているにも関わらず自信のない少女が、自分(プロデューサー)との出会いそしてアイドル活動を通じて自信を持てるようになって花開く。最後に彼女は一言こう言うんです。

「プロデューサーさん、今までありがとうございました。私はいま、幸せです」

 

ああ、なんて素敵なシンデレラストーリーでしょう。

 

安っぽくて王道で、感動的なこの物語。

ですが少し冷静になればただの自己満足でしかありません。

乃々は明らかにアイドルとして人前に出ることを拒絶しています。それを無理やり引っ張り出してるわけですね。

「乃々のため」っていう免罪符を持ち出した卑劣な行動です。

それを感動ストーリーに仕立て上げる。なんて自分勝手なんでしょう。

 

「アイドルで乃々は幸せになるんだ」っていう、勝手に定義した『幸せ』の押し付けに過ぎません。

 

そして罪深いことに、乃々はプロデューサーのことを信頼している。

その信頼というのが、これはもう確かなものでして。

「プロデューサーさんとなら」

「プロデューサーさんがいるなら」

そんなセリフを挙げれば枚挙にいとまがありません。

 

分かります?

 

森久保乃々のプロデューサーって、要するに乃々の信頼とか優しさにつけこんでるんです。

「こうすれば乃々は幸せになれる」って自己暗示をかけながら。悪いやつです。

 

 

「乃々を幸せにしたい」んじゃないんです。

「私が乃々を幸せにしたい」んです。

行動基準は乃々ではなく、自分。

エゴイズム以外の何物でもありません。

 

ずっとその事実からは目を逸らそうとしてましたけど、森久保乃々というアイドルのプロデューサーを名乗るに当たって、この罪悪感というか罪の意識はどれだけ拭っても消えないものでした。

 

 

 

さて、アイドルマスターは完全なサザエさん時空ではないことは皆さんご存知の通りだと思います。

あるイベントを機に特定のアイドル同士が仲良くなったり、初対面では刺々しい態度だったアイドルとの距離感が近づいていたり。彼女達は時がほとんど進んでいないだろう中で成長しています。

 

乃々も例外ではありません。

具体例は省きますが、7年間という時の中で明らかに初期よりも交友関係が増え、目を合わせられるようになり、アイドル活動にちょっぴり前向きになっていきます。

 

そうやって変化・成長していく乃々の姿がとても愛おしく、なによりも嬉しい反面、何処か心に影を落とすことがありました。

 

その正体。独り立ちしてしまうのではないか。乃々はプロデューサーがいなくともやっていけるアイドルになってしまうのではないだろうか。いや、そのどれとも違うかもしれない。

 

「乃々は、私(プロデューサー)がいなくとも幸せになれるのではないだろうか」

 

本当は喜ぶべきその思いを、私は笑顔で受け入れられません。

 

そして、成長・変化していく乃々に対する寂寥感はそれだけではありませんでした。

 

以前、「担当の喜多見柚が変わっていくのが辛い」というようなブログ記事を拝見した時のこと。Twitterやら2ちゃんやらで嘲笑されていたその文章を斜に構えながら見ていた私は、いくつかの引っかかりは感じつつも、それを他人事のようには思えませんでした。

 

「成長して変わっていく森久保乃々を、自分は最初に抱いた時と同じ気持ちでプロデュースしていけるのだろうか?」

 

ここまでくるともう後がありません。

「担当の成長を、幸せを、素直に喜べない自分は、乃々のプロデューサーでいられるのだろうか?」

 

森久保乃々といえば、星輝子・早坂美玲とのユニット『indivisuals』が有名ですね。グッズも多くユニットSSRもあり、優遇されているといっても過言でないこの3人組は、周りに対する壁だったり、大衆と女の子一人の個人のギャップから『殻を解き放つ』という王道のシンデレラストーリーになぞらえたユニットです。

 

あ、あらかじめ言っておくと、私はインディヴィ大好きですよ。

でも、このユニットって「殻を破る」ユニットなんです。

一人では出来ないことを、戦友と共に乗り越える。まさしく、成長。

私の寂寥感を加速させたのは言うまでもなく。

 

成長した乃々が自分の手を離れていくその時。

 

"シンデレラの魔法"が必要なくなる瞬間。

 

森久保乃々とプロデューサーの物語の……『ののの物語』の、終わりの時。

 

そんな、ピリオドの存在を意識せざるを得ませんでした。

 

 

 

 

 

ごめんなさいね、前置きが長くなりました。

 

それでソロ曲、もりのくにからの試聴があったじゃないですか。

 

最初、めちゃくちゃ戸惑ったんです。

 

『私は今もりのくにで暮らしています』

 

離別の歌かっていう。危惧していた「終わり」そのものじゃないか、っていう。まさかの、この路線だったのかっていう。

 

乃々はモバのバレンタインアイプロでこう言ってるんです。

「辞めたくならないアイドルになりたい」

デレステの噂の方が目につきやすいからしょうがないかもしれないですけどね。絵本作家じゃないんです。私が乃々と歩みたいのはそんな道じゃない。

 

私は乃々を『辞めたくならないアイドル』にしたいんです。ごめんね、絵本作家なんてクソ喰らえです。

こんなプロデュース指針を掲げている私にとって乃々がアイドルじゃなくなった時点でもう終わりなんです。

『絵本作家になった乃々とのほろ苦い交流』みたいなのなんて、無いのとおんなじです。

負けなんですよ。終わりなんです。

 

 

ただ、後半の歌詞にこんなパートがあって。

 

『あなたが弱虫な私の手を引いて 空の下に連れて行ってくれた時のこと

あなたが臆病な私の背中を押して 一人で歩かせてくれた時のこと

それも今ではいい思い出です』

『虹の光に包まれたきらめく世界で傷つくことなく笑っていられたのはあなたが守ってくれていたからですよね』

 

 

これはまさしく、私が思い描いて一方的な押し付けだと思っていた乃々とプロデューサーとの理想像そのものです。

プロデューサーの「押し付け」に対する乃々のアンサー。

それが、「いい思い出」と、そして「あなたが守ってくれた」ことに対する「ありがとう」。

それを乃々の口から言ってくれたことといえばそれはもう、筆舌に尽くしがたい喜びでした。

 

この二つが混じり合って、どんな感情になればいいのか分からなかったのです。

 

さらにアイドルソングとしては極めて異質ですからね。一番だけだとメッセージ性にアイドル感無さすぎて。キャラクターソングのように感じました。

 

というわけで、試聴の段階での曲のイメージは

「今までありがとう。さようなら」

でした。

正直な話、フルを聴くのが怖かったです。

 

 

 

さてCDが発売されて、仕事が終わって家に着いて。ちょうど総選挙の終わりのタイミング(フラゲ勢)でしたから、もしかしたらここで森久保乃々の担当を名乗れなくなるかもしれないという覚悟と担当のソロ曲がお店の店頭に並んでいるという感動半分の曖昧な状態で曲を聴きました。

 

 

 

自分が涙もろいというのもありますが、本当に、本当に泣き崩れました。

 

結論から言います。この曲は別れの歌でも、儚い成長の歌でも、巣立ちの歌でも、森久保乃々のキャラソンでもありませんでした。

これは、ただただ『あなた』への曲です。だから、お手紙なんです。

 

一番ではもりのくにからあなたへお手紙を書きました。

「もりのくにで元気に過ごしています。あなたとの思い出は素敵でした。ありがとう」

こんなお手紙を。

 

またお手紙を書きます。

「憧れていたもりのくには、そんなに便利なところじゃありませんでした。街はなにか変わりましたか?あなたはどうしていますか?」

 

そして。そして、このお手紙を書いた子の、この曲の、一番伝えたいメッセージに続きます。

 

 

 

『街は街で大変で  もりはもりで大変です

同じ大変でも、街にはあなたがいて

もりにはいないから』

 

 

 

 

穏やかなもりのくにと目まぐるしく煌びやかな街、それを比較した上で「あなた」がいる方を選んだのが、今の森久保乃々なんです。

この手紙の送り主が選んだのは、

『ずっと住んでいた街』

でも

『ずっと憧れていたもり』

でもなく、

『ずっと守ってくれていたあなた』

だった。

 

 

それもストレートな「迎えに来てください」じゃないんです。「連れて行ってください」じゃないんです。「一緒に行きたい」じゃないんです。

 

 

 

昔よりも成長して前は向けるようになったけど、それでもそんな真っ直ぐな表現じゃありません。だって、もりくぼはもりくぼだから。

「もりのくにがいいところだから」という前置きをした上での

 

 

『迎えに来て欲しいとかそういうのじゃないですから

 

 

なんです。

NSWERのコミュ4でも触れられていた「けど」で本心を隠してしまう乃々の本当に言いたいこと。

成長しているけれど、根っこの部分は変わらない、これが森久保乃々なんです。

 

『もりのくにから』というタイトルや歌詞全体の雰囲気から想起される別れの印象はあくまでもテイストの一つでしかなく。

 

もう一度言います。この曲は。

『ずっと憧れていたもり』よりも

『好きじゃないなりに過ごしていた街』よりも

『ずっと一緒にいたあなた』の存在が大切だった。

そんな主張の歌であると感じました。

 

 

森久保乃々がどれだけ成長していっても。

どう変わっていったとしても。

臆病でも弱虫でもなくなってしまったとしても。

それでも森久保乃々は森久保乃々のままで。

そして何よりも、「あなた」を選んでくれる。ああ、これが森久保乃々なんだ。これが、乃々なんだ。

 

アイドルの代役としての撮影現場でその場の流れでアイドルになった。アイドルにした。

 

「アイドルを辞めたい」「もう少しだけ頑張ってほしい」

彼女との最初の会話がこれだった。

 

何度も隠れて、何度だって見つけてきた。

何度も逃げて、何度だって探してきた。

少しだけ、目が合うようになった。

 

友達や仲間が沢山できた。

前を向けるようになっていった。

そんな、今までの乃々の物語。

 

そして、ずっと私が目を向けたくなかった、これからの乃々の物語。

ずっと怖かった。

その物語に『プロデューサー』という登場人物がいない気がしたから。

 

それを、この曲は。この歌は。この手紙の送り主は。

この曲を歌う、少女は。

 

 

乃々と私(敢えてプロデューサーと言わない)の物語に終わりなんて、ピリオドなんて無かったんだ。

 

 

私が今までしてきたことは決して押し付けじゃなかったんだ。

自分はこれからも乃々をプロデュースしていってもいいんだ。

変化や成長を恐れなくてもいいんだ。

私の抱えていた罪悪感。後ろめたさ。エゴイズム。その、全てが。

 

 

「救われた」

 

 

私の貧弱な語彙力ではこれ以外に表現しようがありません。

 

 

一人の『森久保乃々担当プロデューサー』を自称する人間が、『もりのくにから』を聴いて救われた。以上、そんなお話でした。

 

 

 

メタ視点で補足すると、2番以降で再会を求めるニュアンスが入ったことで、単なるキャラクターソングではなく「森久保乃々というアイドルが歌うぎこちないラヴソング(あるいは感謝を伝える歌)」みたいな解釈の方が自然になったっていうのは大きいですね。

 

アイドルがステージの上で個人を想って歌う、というのはさすがに変な話なわけで。私はオタクではなくプロデューサーとして乃々と接したいからこそ、乃々にはキャラクターソングではなくてアイドルソングを歌って欲しいんです。

 

確かにこの『もりのくにから』はキャラクターソングだと感じる人は少なくないですし、事実私も視聴の段階では少し「ん?」と思いました。でも、やっぱり違うんです。これはあくまで、アイドルソング

 

「引っ込み思案で、ネガティヴで、自信がなくて、『誰か』に支えられていた少女が、その『誰か』に対して抱いた(或いは気付いた)思いを伝える歌」こんなディレクションに対するアンサーだとしたら、どうです? 完璧じゃあないですか。どんなに長いコミュよりも、どんなに素敵なイラストよりも、この曲の一節ほど濃厚で、心に響く供給はありません。

 

『森久保乃々のキャラクターソング』だったら、そうですね、確かにアイドルを辞めた乃々が云々って解釈が正しいのかもしれない。でも、この曲は乃々のキャラソンではありません。だからこそ、決して別れの寂しさなり、悲壮感なり、物語の終わりをテーマにした曲ではないと思っています。

 

 

 

文章があまりにもポエミーで我ながらサブイボたちますね。でも乃々がポエム公開したり頑張っているのに、そのプロデューサーがそれよりも勇気を出さない。そんな道理は通らないでしょう。

 

ここまですごい古参プロデューサーみたいな顔してますが、私がアイマスに触れたのはデレステ2周年アニバのタイミングですごめんなさい。(無料10連でSSR引いたから担当になったとかではない。断じて。)私は声の無かった頃の森久保乃々とともに時を歩んでいません。

もっと前からモバマスを、森久保乃々を知りたかったという呪いは今後一生救われることがないのが辛いところ。

 

 

厄介オタク、そして森久保乃々担当プロデューサーの駄文をここまでご精読いただきありがとうございました。

 

 

 

 

胸のつっかえを吐き出したところで、小くぼの原稿作業に戻ります……。ではお元気で。

 

追記:上記の小説はネットの海に放り投げたので、まあ、もし興味があったら読んでみてください。クッソ長いですが、それなりに面白いものは書けたと思います。

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