松田養鶏醸

幻想人形演舞とかアイマスとか

乃々ともりくぼ

突然ですが質問です。

あなたの一人称はなんですか?

 

私・ぼく・俺・ウチ・拙者・あたし・小生・手前・アタイ・某・我・おいら、エトセトラエトセトラ……

 

日本語でパッと思いつくだけでもこれだけの一人称があり、ふむ、使っている人の個性があらわれるというもの。一人称を見ればどういう人間か分かる……というのは言い過ぎですが、どういう人間ではない、なら分かるかもしれませんね。だって竹下通りの陽キャは絶対に『小生』とは言わないもの。いや竹下通りならいそうだな、表参道あたりにしとくか。

……まァそんな話は置いといて。それでは、こんな一人称をご存知でしょうか?

 

『もりくぼ』

 

今日は少し、そんな一人称を使う、世界で一番かわいいアイドルの話をしようと思います。

 

 

 

どうも、まつだと申します。一人称は私か俺。なんか勿体ぶったけれど、きっと私は乃々以外のアイドルの話はしないだろうなって今思った。

 

先日、デレステのストーリーコミュ59話の実装がついに発表されました。待ちに待った、乃々だけのためのコミュ、乃々のソロ楽曲『もりのくにから』の実装、乃々のためのMVなどなど。追加されることは盛り沢山。やったね。

とてもうれしい、うれしい、んだけれども、デレステのストーリーコミュというものはそのアイドルの根幹に触れることが多く、それを待つ身としては期待と不安で心が掻き乱されるわけで。素敵なコミュに胸踊ることもあれば、俗に言う『解釈違い』を引き起こす可能性も高い。正直、クオリティに首をかしげる事も少なくないですし。

 

ですので、乃々に対して思うところがあったとしたら実装前に一度整理しておくべきだと、ある種の終活としてここのブログに想いを綴ろうと思います。(別に解釈違いであっても「サイゲくんもまだ乃々のことを“理解”ってないね」で済ませますがね。その程度で愛が揺らぐかよ)

あとはまあ、乃々の更なる魅力も知ってもらえたら嬉しいなって、そんな感じ。

本当はこういうのしたくなかったり。ことアイドルマスターにおいて、私はオタクではないので。

 

 

 

というわけで、テーマはこんな。

 

『なぜ乃々は自分のことを「もりくぼ」と呼ぶのか。』

 

乃々の一人称は「私」か「もりくぼ」。

プロデューサーの間では度々話題上がり、最近では「プロデューサー側が森久保乃々をどう呼ぶのか」が少しTLを賑やかしたりもしましたこのテーマ。

 

さて。

 

私はね、乃々の”もりくぼ“という一人称は、「ただかわいい」とか「ただの変わった個性」とか「キャラ付け」なんかでは決してなく、森久保乃々という女の子のもとで育った、明確な根拠を持った一人称であると思ってるんです。

 

どういうことか。そもそも、乃々はどんなアイドルでしょう。

乃々はネガティヴな女の子です。臆病で、引っ込み思案。別にアイドルが嫌なわけじゃないけれど、私にアイドルなんてできるはずがない。だからアイドルを辞めたいと言う。そんなアイドル。

 

ネガティヴ思考、臆病、引っ込み思案。

それは、何故か。森久保乃々という女の子の中でなぜそんな個性が育ったのか。

 

答えは単純明快。自分の身を守るため、要するに自己防衛です。

(というか、ネガティヴっていう性格自体、往々にしてそういった性質を内包しているので何を今更って話ではありますが。)

 

出る杭は打たれる。光が当たれば影ができる。それならば、外になんか出ずにずっと隠れていればいい。光に憧れなければいい。

裏切られたくないから、或いは裏切りたくないから、自己評価を下げる。

備えあれば憂いなし。失敗するのなんて分かってたからセーフ、みたいな。

最初っから希望なんてなければ失望して傷つくことはない。

初めから人前に出ていなければ冷たい視線が自分に突き刺さることはない。

そもそも何かをしなければ失敗するリスクは抑えられる。だから、なにもしない。

そんな消極的リスクヘッジ

 

いやはや詭弁である。ありがちなんですけどね。

体力測定がある日に「今日はなんか体調悪いんだよね」って言ってみたり、テスト当日に「勉強してねー」って言ったりそういうの。でもそれってある種健全じゃないですか。「お前運動音痴だな」とか「赤点取るなんてよほどバカなんだね」みたいな周囲の攻撃から、自分の社会的地位を守る為の保険ですから。別におかしいことなんて一つもない。

人っていうのはそういうもんです。傷つかないためになんらかの試行錯誤を繰り返す生き物。それは意識の下でコントロールしてるか否かに関わらずです。

 

でも一つ大事なことで、乃々ってネガティヴな割に明確な失敗描写が殆ど無いんです。

昔こういうことがあって……みたいな話も、こんなトラウマがあって……みたいな話もなくて。せいぜい逃げたエピソードと自分がいかに臆病か、と言う話ばかりなんです。今後深掘りされる可能性は大いにありますけど、実際に攻撃を受けて傷ついた、と言う話を、私は乃々の口から聞いたことがありません。これが一つ、乃々のネガティヴが保険に過ぎない、と言う根拠。(ちょっと薄すぎるかな)

 

 

あと一歩だけ踏み込みましょう。

『傷つきたくない』。

では、乃々を一番傷つけてしまうものは一体なんなのか。

 

プロデューサーとして、きっと間違えてはいけない問いの答え。

私は、『人を傷つけてしまう事』と『人に嫌われること』なんじゃないかと思っています。

 

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本題。

「“もりくぼ”とは、何か。」

 

結論。

”もりくぼ“とは、殻です。或いは、仮面。身代わり。替え玉。

 

 

デレステのライブで失敗した時、乃々はこう言います。

「私はもりくぼなので……。ごめんなさい」

 

乃々には自信がない。人よりも自分は出来ない子だと思っている。自分のことをだめな子だ、かわいくなんてない、と否定する。

でも。乃々は決して傷つきたいわけじゃない。

私ね、これってものすごいわがままだと思うんですよ。

 

ステマティックに合理的な考え方をすれば、自分のことがだめだと思って、そんな自分が嫌なんだったらまず自分を変えるべきです。

自分のだめを変えるでもいい。自己嫌悪を変えるのでもいい。だって、そうした方が傷つかないじゃないですか。

それが出来ないのなら、傷つくべきではないんですよ。だめな自分を嫌いになって、そしてその事実を受け入れて開き直ればいい。自分がだめでも、自分が嫌いでも、傷つかなければいい。それがローコストで合理的な選択です。

 

乃々は、そのどれからも逃げたんです。そのどれでもない選択肢をとった。

『だめな自分』を「自分じゃない」と思い込むことにした。

だめな"もりくぼ"のことを嫌いになった。

"私"ではなく、"もりくぼ"を。

 

結果として、乃々は弱いまま自己否定できるようになってしまった。

乃々が“もりくぼ”を用いずに自己否定するセリフももちろん数多くありますが、その根底にはこの考え方がへばりついている。

 

だめな自分、傷つく自分を他人事化しているんです。"もりくぼ"は森久保乃々であって森久保乃々じゃない。

第二人格、とまではいかないまでも、乃々が乃々として、ある種ポジティブに前向きであるために、凡ゆる負の感情を押し付けられたのが”もりくぼ“だと思うんです。

 

そうして乃々は自分のことを第三者視点から見られるようになった。自分が逃げてプロデューサーが見つける。その一連の流れを彼女は「お約束」と言っていたり。

 

『私』は私しかいません。一人称というものは、唯一無二で絶対的であればこそ一人称たりえるのです。

私は、から始まる主張の主体は世界でただ一人なのです。だから、一つの人格を明確にくっきりと、世界に顕現させる。

要するに、私は"私"にしか”私“と言えない。”あなた“に対して、"誰か"に対して”私“という主語は使えない。そんな当たり前のことを経済学よろしく一般化しようと試みているだけです。日本語って難しいね。

 

対して、姓は違います。

まつだは私だけじゃない。もりくぼは乃々だけじゃない。「私」ではなく「もりくぼ」という一人称を用いることで、主体性は薄れ自己の輪郭は滲み、主張の発信元は限りなく曖昧になる。

乃々は生まれた時から頃から臆病だったと話しています。「お母さんにべったりだった」と。

親戚であるはずの叔父さんに対しても、乃々は「もりくぼ」という一人称を使っています。

そんな環境ならなおさらじゃないですか。周りには『もりくぼ』だらけで、そんな中でなら”もりくぼ“は限りなく主張することなく景色と一体化できる。

 

「もうアイドルとか辞めようかなって思って…」

乃々を、森久保乃々を象徴するこの台詞。

私には、初めて聞いたこの言葉が、引っかかって仕方なかった。だって"ネガティヴ"で"消極的"で"引っ込み思案"な女の子が言うにはあまりにも勇気のいる言葉だから。

 

心の中に『"もりくぼ"の内側』というサンクチュアリかある。だから乃々は、自分を傷つけ、弱いけれどタフで自己主張をできる。

 

これが、私が思う乃々の"もりくぼ"です。

 

 

 

で。

 

何が言いたいかってね。

 

私は、そんな乃々が大好きなんです。

 

ごめんなさい、どだい私に真面目で公平で第三者的な考察なんて無理だったんだ。

愛を語らせてくれ愛を。

 

 

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「むりな私と、むりじゃない私。どちらが本当…?たぶん、両方……」

[シンデレラドリーム]森久保乃々+

のこの台詞。

 

乃々の魅力はこの言葉に詰まっていると言ってもいい。

 

「結婚したら夫婦二人世界の端っこでじっとしてるのが夢」

「静かで誰もいないもりくぼ好みのプレイス」

そんな風に、他人との関わりを拒否しているのにも関わらず、それでも乃々は誰かに嫌われたくない。

 

乃々って普通の女の子なんですよ。普通って言葉は安易に使うべきじゃないかもしれないけれど。普通ってなんなのって話になっちゃうし。

 

「誰かに必要とされるなんて初めて」

乃々にアイドルを辞めないでほしい旨を伝えると、乃々は心の中でこう思います。

 

かわいいものが好きで、メルヘンな世界に憧れていて。自分に自信がなくて、恥ずかしがり屋さんで。主張するのが苦手。達観しているところもあって、ちょっぴりひねくれてる。自分で自分を否定する。だけどそのくせ、構ってほしい。認めてほしい。

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揺れてるんです。少女と大人の間で。理想と現実の間で。14歳の女の子。

そんな女の子らしさが本当に、どうしようもないほどいじらしくてかわいいんです。

 

 

最近Twitterで話題になっているネタ。きっと、シンデレラガールズの世界では描かれることがないであろう「x年後の森久保乃々」。

私はね、もう『もりくぼ』という一人称は使っていないと思うんです。使うとしても、それは乃々が意図的に自分を隠すために"もりくぼ"である時だけで。素でそれが現れることはない。

というか、使わせない。私がプロデュースする上なら、絶対に。

ずっと前を向いてポジティブに……とは言わないけれど、もりくぼという殻にずっとこもって欲しくはない。でも、ただそれを良くないものだとして拒否してほしいわけでもない。

 

私は、乃々に。

いろんな世界を知って、いろんな自分を知って。楽しいことをたくさん知って、時には苦しいことがあることも知って。

見てほしい。剥き出しのダクトが並ぶ煩雑とした路地裏の隅に落ちる、ひん曲がってシケた吸殻とひしゃげた空き缶の美しさを。気づいてほしい。黄昏時に宵の明星が彷徨い輝く、昼と夜のいり混じったマーブル模様の紺碧の空の醜さを。美醜優劣悲喜こもごも、その全てを知って、味わってほしい。

恐れずに前を向く勇気も、哀しみからこぼれた涙も。そのどちらも。

 

きっと、いつの日かまでは確かに森久保乃々だった"もりくぼ"という抜け殻の美しさを知ってほしい。

色んなものに触れて知って成長した、そんな自分の美しさと、もしかしたらほんの少しだけあるかもしれない醜さを知ってほしい。

 

そうして、何よりも、"森久保乃々"自身を好きになってほしい。

 

それが、私が『アイドル』を通じて乃々に、与えたい、伝えたいものです。

乃々が成長して寂しくないのかって? まさか。私がそれで傷つくフェイズはとうの昔に過ぎ去りましたから。

 

 

 

そして、この話に付随して一つだけ語りたいことがあるんですけど。冒頭言いました、「乃々をどう呼ぶかが最近話題になりました」これについて。

私は、まあ見ればわかる通り「乃々」と、そう呼んでいます。その理由をね、少し。

ここまで散々長いこと、飽きもせずこんな文を読んでくれた方には大体察しはつくと思いますが。

 

一応言っときますと、これは誰かに何かを強制しようとか、そういうんじゃないです。あくまで、私が勝手にそう思って勝手にそうしているというだけの話です。

 

乃々のことを「もりくぼ」と呼ぶ方は多いですね。下の名前ならともかく、苗字でここまで呼ばれているアイドルもなかなか珍しいというもの。

 

でもね。「もりくぼ」或いは「森久保」という呼び方では、私の言葉が"もりくぼ"という仮面に堰き止められてしまう。乃々の防護壁の外側に対しての言葉になってしまう。私は、そんな気がしてならないのです。

……そうじゃないんだ。私が彼女を肯定する時、いやもしかしたら、否定する時。その言葉は、ただ一つの逃げ道もなく純たるまま、他でもない森久保乃々自身に届けたい。

 

だって私が、堪らなくいとおしくて、誰よりも幸せになってほしくて、幸せにしたくて、そして愛してやまないアイドルは、『もりくぼ』じゃなくて、それも全部全部ひっくるめての『森久保乃々』だから。

 

だから私は、「乃々」と呼びます。自分を『もりくぼ』と騙る乃々への、ささやかな抵抗なのかもしれません。

乃々は乃々でいいんだ。決して逃げる必要もないし、隠れる必要もないんだ。「乃々」という呼び方それ自体が、私なりの乃々へのエールです。

 

そして、彼女をアイドルにした他でもないプロデューサーの役目。責任。

彼女が、逃げたいとも、隠れたいとも思わないような、そんなやさしくて素敵な世界に創り上げること。

ののの物語を。

 

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乃々の、プロデューサーだからね。

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長くなりました。とりあえず今日はこの辺で。特に新しい発見とかでもなくてごめんなさいね。「そんなん分かってら」って人が大半か。

 

私にしては痛くない文章が書けたんじゃないかな。珍しい。でも考察を書きたかったのにラブレターみたいになったな。ふしぎ。イタいな。私もポエムが好きなのだ。

また近いうちに更新すると思います。次はそうですね、直接お会いした方にはさんざっぱら語った、とあるユニットについての妄想とか。では。